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2018年7月20日

「田儀桜井家と石見銀山について」講演会が開催されました。

「田儀桜井家と石見銀山について」講演会が開催されました。

こんにちは、田儀桜井家たたら遺跡保存会の山崎です。

 石見銀山資料館学芸員藤原雄高氏による講演

平成30年5月26日に多伎文化伝習館で、平成30年度「田儀桜井家たたら製鉄遺跡保存会の総会」の後、石見銀山資料館学芸員藤原雄高氏により世界遺産である石見銀山と田儀桜井家のつながりについて、たいへん興味深い講演がありました。

(内容一部抜粋)
16世紀始めの石見銀山の発見に田儀の銅山師三島清右衛門が大きな役割を果たしていました。その子孫が大森で田儀屋を起こし、その屋号を石見銀山で最も有力な商家となった熊谷家(国指定重要文化財)が継いでいます。その関係かどうか、後に、田儀桜井家と熊谷家は頻繁に手紙のやり取りをしています。
○石見銀山の銀の精錬に欠かせない灰のなかで、神門郡久村(現多伎町久村)の塩釜灰が最も上質の灰とされていました。
○伯州から砂鉄を購入するため、田儀の桜井家は、鳥井、百済(現大田市)のたたら経営者と共同で購入していました。当時の松江藩内ではなく、隣の天領である石見銀山料のたたら経営者との交流があったことが分かります。

これらの事を、銀山旧記(高橋家文書)、銀山初メ三島清右衛門覚書(東北大学附属図書館)、由緒書(熊谷家文書)、明和六年銀山方御役所御用日記(中村家文書)などの資料からわかり易く紹介されました。

出雲と石見の境界に位置する多伎町田儀で、江戸時代から明治初めに栄えた田儀桜井家のルーツにつながる講演でした。

講演終了後、宮本田儀桜井家墓地の修理・調査の見学会も開催

●講演終了後、宮本田儀桜井家墓地の修理・調査の見学会が出雲市文化財課主催で行われました。
●これからも、まだ十分わかっていない貴重な遺跡について勉強したいと思います

写真提供:多伎文化伝習館 小田八千代様

カテゴリ 多伎町の名所